2015.01.15 僕はシャルリーか?  =TAKESHI=

2015年が始まってすぐ、驚く事件が起きました。

パリで起きた週刊誌シャルリー・エブド襲撃事件。
世界中を震撼させて、言論の自由の危機と大きな話題となっています。
この様な暴力は許されるべきではありません。
それと同時に、暴力の否定は当たりとして、風刺画に対する是非は難しい問題となっています。

言論の自由がどこまで許されるのか?
風刺画はフランスの歴史において古く、フランス革命の時にまでさかのぼるらしいです。
彼らが勝ち取った自由はフランス共和制の元となり、絶対に失ってはいけない重要な信念なのです。

この考えは世界中の多くの人々は同意出来る事だと思います。
もちろん僕も「言論の自由」は絶対に失ってはいけない重要な事と思います。

でも、簡単に「Je suis Charlie / 私はシャルリー」の文字を掲げるには少し疑問もあります。
そこには日本にも起きているヘイトスピーチの問題にも繋がる、どこまで言論の自由は許されるのか?
を考えてしまうからです。(僕はヘイトスピーチは暴力だと思っています)
はたしてシャルリー・エブドの風刺画に描かれた内容は言論の自由に値するのか?
ムスリムの人達にとっては、ヘイトとしか受け取れない内容もある様な気がします。
(それでも言論の自由が優先というフランス等の欧米の考えは分かっています)

今回の件については、フランスの事情も良く知らない、ムスリムでも無い、シャルリー・エブドを
見た事もない僕が持論を展開するのは意味無いので何も言いません。

ただ、僕はいつも「行き過ぎた自由は暴力と似ている」と感じています。
報道の自由に限らず。
そして「暴力」は全人類が絶対に否定しなければいけない最重要課題だと思っています。